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インドと私の出会い

第1号 結婚して〜

 何故か日本人がインドに抱くイメージはとてもいい。
パキスタンや、バングラデッシュならそうはいかないと
思う。インドに行けば何か見つかるかも。。。と思って
と旅行に行く人も多い。でも、、、私は全然違った。

私は22歳の時にインド人と結婚しました。
たまたま、相手がインド人だっただけで、インドの知識と
いったら全くなし。もともと地理、歴史と言うのがとても
苦手で、インドの事は全くわかってなかったけど、縁が
あったのかなあ、親が反対する間もなくさっさと結婚して
しまいました。

 しかし、外国人との結婚は結構面倒だったな。
まず、本国よりの独身証明というのをあげないとならなくて、
というのも国によって重婚を認めている所があるでしょ。
日本のやまとなでしこを重婚から守るため、
それを取り寄せ、日本語訳をつけ、その後、審査があるのです。
だから私の結婚記念日の多いこと。

その1:日本の役所に書類を提出した日、
その2:許可が下りた日、
その3:インド大使館に結婚届を出した日、
その4:結婚式をあげた日、
こりゃすごい。私も覚えてない日があるなあ。

結婚式はインドであげることにしたものの、お互い仕事が
あったので、半年後の9月末にインドに行くことになったの
でした。インドは日本よりとても優れた国だから何もいらないよ。
ただ、トイレットペーパーだけは持って行くことと言われました。

いよいよ、、インドだ〜。

第2号 エア・インディア

地球の歩き方にエア・インディアは毛布がないとか
サービスが悪いだの色々書かれてたんだけど、
飛行機に入るとターバン姿のインド人はいるわ、
シタールの音楽が流れてるわでなかなかいい感じ。
いや〜異国を感じるにはエア・インディアでないとなあ
と感動しました。

が、夫がせっかちだから、飛行機飛ぶ前から日本人
スチュワーデスに「スイマセーンインド紅茶クダサ〜イ」
とか、「スイマセーン飴もうイッコクダサーイ」とか
やるもんだから恥ずかしい、恥ずかしい。まるで、うちで
何にも食べてないみたいやん。
いよいよ飛行機が飛んだと思ったら、またも夫が
「スイマセーン、ウイスキーはおカネイクラデスカ?」
とかやるので、「いい加減静かにしてよ!そんなん
ただに決まってるやろ!!」
と怒ったら、スチュワーデスさんに、「いえ、かかります。」
と言われてしまった。夫は「ドルデモイイデスカ〜。」とか
言ってドルで払ってた。例えばビールなんか無料にしちゃうと
ポケットに詰めて持って帰るインド人がいるのでそうなってた
らしい、なるほどねえ〜。(注:今は無料もあり)

第3号 パンジャーブ・フォグワラへの道

インド空港に着き、そのまま夫の親戚宅に直行、
親戚は親切で、タンドリーチキンを買って
待っていてくれましたが、新聞紙にくるんであって、
しかも少量を7人で分けたものだから一口位しか食べられません
でした。しかも、3ヶ月あるインド生活でタンドリーチキンを
食べたのは後にも先にもこれが最後でした。
でも、あれは豪華にもてなしてくれたんだなと今ではいい思い出です。

翌朝は5時起き、インド人は綺麗好きなので朝風呂。
当然私も朝風呂に。しかし、シャワーなんてないし、
しかも水。。バケツ二杯分の水を蛇口から汲んでおいて、
それを上手に利用しないとならないので大変でした。

いよいよ、夫の故郷パンジャーブに長距離バスで出発です。
しかしインドのバスの怖いのなんの。飛ばす、飛ばす、
命が縮まるのなんの、しかもちょっとでもうつらうつらすると、
夫が運転手が怒るからとか言ってぼかっと殴るし、
(注:嘘か本当か夫は運転手は乗客が眠ると自分が眠くなるから怒りだすと言ってた。)

「ここからどれくらい?」
「大体、二時間位」

そろそろ二時間だなあと思い、
「もう着く??」と聞くと
「あと二時間」

今度こそ二時間だなあと思い、
「もう着く??」と聞くと
「あと二時間」
の繰り返し、延々8時間もバスに乗り続けた。
「なんで最初から8時間って言わないのよ!!」と怒る私に
夫「だって、最初から8時間って聞いたら行かないでしょ。」
だってさ、そうかなあ???

着いたらのどはからから。なんせ二時間で着くと
思ってたし、飲み物を途中で飲もうなんで思わなかったものね。
頼むし、水を飲ませてとお願いしたけど、
なんでもインドに売ってるとか言ってた割にミネラルウオータなんて売ってないやんか。仕方ないから台車で挽いてくれるフレッシュパイナップルージュースを買ってもらった。
ところがこれが恐ろしいもので、なまぬるいは、硫黄塩が
入ってるから温泉みたいなにおいのジュース、
マズイのなんの、好き嫌いのない私でも
全然飲めない。

しかもまだ、ここから車で一時間かかるという。。。
タクシーの交渉を夫が始めたものの、夫=けちなので、
私を外国人とみてふっかけてくるとか怒って200円(50RPS)
値切る交渉をやっている。それを延々とやる。。。。
頼む、、、200円、私が出すから、、、
乗せてくれ、、、そのタクシーって感じやった。
死にそうやった。
なのに、夫、それは出来ない!!とか言ってさ、、、
トホホホ。。。

第4号 ゴウン(村)へ NO.1

フォグワラからなんとかタクシーに乗せてもらい村へ向かった。
とにかく暑い、が、
窓を開けようとしたら、窓は壊れてて開かなかった。
すごく揺れる。。スピードはどれくらい出てるんだ??
メーターを見る。メーターは壊れていた。

1時間程走りようやく村へついた。
私は気軽な気持ちで行ったものの、向こうでは日本人のお嫁さんが
来るという事でずっと私を待ちかまえていたらしく、
ぞろぞろと大勢の人が
私の後をついてくる。松田聖子(当時売れてたから)って
こういう気持ちなんだろうな〜。と思った。

うちの前で大勢の女の人にお祈りの言葉を受けなんやら、水やら
かけられて、そうして私は家に入れて貰った。
夫はすっかりインド人に戻っており、ターバンがないので、
ハンカチなんかを取りだして知らない間に頭にかぶって、
お祈りの言葉を受けている。なんか別人を見ている様だった。

とにかく、、水を飲ませて欲しい、、
地球の歩き方には生水は飲まない様に、とあったが、
当時のパンジャーブの村は牛糞に藁を混ぜて練って乾かしたものを
燃料に火吹き棒で火を起こしていた。これで、すぐ水を飲むのは
無理だ〜〜。しかもお湯なんて飲めっこないし、我慢もできない。
仕方ないので、、井戸水を飲んでしまいました。

その夜、とっても恐ろしいことになってしまった。

何しろうちにはトイレがないんだもん。。そこで私はどうしたか??

第5号 ゴウン(村)へ NO.2

夜中に起きた激痛。イテテテテテテ。我慢しようかなと思ったけど
とてもじゃないけど、我慢出来そうにない。
が、しかし、村のうちにはトイレがないのであった。
私はもともとお腹が強い。中学生の頃からお腹なんて壊したことが
なかったので、インドでの腹痛を甘く見ていたのでした。

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ここで、インドの村のトイレ事情を説明しておくと、
まず、うんちは朝するものと決まっていて、朝夜明けと共に田畑に出かけ、田畑で用を済ませるのです。だから、朝、農場に行くと、あちこちの薄暗がりの中、かがんでいる人を見受けることが出来るのです。
まあ、女性はちょっと隠れている様で、男性の姿しか見受けられないのですが、その時にうんちを済ませないと、お昼はとても苦労する事になります。私も後々、サトウキビの陰に隠れて済ませた事が何度かありました。

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もう駄目だ〜って事で新婚なのに、
夫に
「すみません。お腹が痛いので農場に連れてって。」
そしたら、夫、恐い形相で、
「インドでは男と女が一緒にトイレに行く習慣はない。」
とか言うんだもん。
私、「じゃあいいよ。一人で行くから。」
夫、「犬にかみ殺されるかもしれないから一人じゃ駄目!!」
私、「じゃあ、どうするのよ。もれる!!」
夫、「いいよ。二階でして。」
私、「ええ!じゃあ、お腹壊した私のうんこはどうなるの!?」
夫、「大丈夫だって、お金を払うと取ってくれる人がいるから。」

しかし、しかし、そんな恥ずかしいこと出来ないよねえ。
だって私はまだ22歳で、皆が私の行動に注目してるのに、、
ピ〜ンチ。

第6号 ゴウン(村)へ NO.3

苦しむ私に遂に仕方がない。
田んぼに行こうという事になった。犬に襲われてはならないと
言うのと、男と女がトイレに一緒に行く習慣がないという事で
結局、村の女性4人と用を足しに田んぼに出かけた。

だが、私の住む家の田んぼは遠い。
仕方がないので、一番村に近い人の田んぼで用を足す事になった。
実はこの田んぼでトイレというのにもルールがあって、
人の田んぼは実際は使ってはならないらしい、
見つかると怒られるらしい。
だから、内緒やで、って念を押されて私はそろそろと
田んぼに降りていった。

日本と違い、道路に街燈はない。真っ暗で懐中電灯を頼りに
田んぼ迄行きましたが、女性達も私を見失ってはならないと
いう事でご丁寧に、用を足す私に懐中電灯で照らしてくれる。

こんな恥ずかしい事は生まれて初めてだった。
うら若き乙女なのに。。。

これからインドに三ヶ月いるんだなあ。大丈夫かなあと
しみじみ思った。初日でした。

幸いお腹は一度壊しただけで済み、翌日は元気でした。
しかし、翌朝、夫に預けていたお金(夫が稼いだ分と
私がOLで稼いだ分)全部は夫のお母さんに全て渡されて
しまった。この日から私は一文無しになってしまうので
あった。

第7号 ゴウン(村)へ NO.4

私の目の前で夫は「はい。」と義母さんに、お金を全部渡してしまった。もともと何故そうなったかというと、普通両替は空港でやるものですが、夫は、村の方がレートが高いからとか言うので、そりゃそーだ。
ガイドブックにもやみ両替の話はあったし、私は所詮インドでは外国人、対する夫は母国、任せておけば、問題ないという事で夫に全部お金を渡してしまっていたのでした。

当時インド人は外国に行く際の米ドルの持ち出しが規制されていて
それで、外国に行く人はもっとドルがいるに決まってるのだから闇でのレートは高かったのです。今はそんな事ないと思うけど。

結婚したとはいえ、独身の時に私が頑張って働いたお金、
抗議したけど、無視されてしまった。
ギャーギャー騒ぐ私に皆どうしたの?と皆聞いてる。
うちの夫、「お腹が減ってるみたい。」
それ以来、私が怒ると自動的にりんごが出てくるシステムに
なってしまった。(;_;)

でもその日は長旅の疲れを癒す、休みの日に当てられた。
取りあえず、お金を使う用事はなし。
ところがインドの結婚というのは家との結婚の様なもの。
私を待ちかまえてたインド人が一杯来る。そんでマシンガンの
様に話しかける。が、、私はパンジャビ語なんてわからない。
日本で買った大学書林の辞書を片手に頑張って聞き耳を立てる。
が、わからんものはわからん。適当にはい。はい。と答えていたら、それでどう思うの?とか聞き返されるから大変困りました。

この日私の来ているスカートがおかしいというので、パンジャビスーツを家のお嫁さんが縫ってくれました。そして、ヒールをはいてた私にチャップル(ゴムビーチ草履)を買ってきてくれた。
インド人化した私にインド人大満足。
次回はインド人の普段の生活について。

第8号 ゴウン(村)へ NO.5

インドの朝は早い、鶏が泣き出して、すぐ位から村中につけてある、スピーカーから、お経が流れ始める。眠いから起きたくない等とは誰も考えない様で、それから皆、おもむろにぞろぞろ田んぼに向かうのである。

おもしろい事に毎日そういう生活をしていると、ちゃんと大きい方は朝に出る様になるから不思議である。薄暗がりの中、膝に腕なんかついちゃって、お月さんなんかを眺めながら用を足すのはなかなかおつなもんです。
インドに行ったらやっぱり紙を使うのは邪道でしょ。という人もいますが私はやっぱりそこまでは出来ないから、紙を使ってました。が、紙を一緒に捨てると、後で人が通ったときにこれは日本人の○○○となっても嫌なんで紙は地面に埋めてましたけどね。

そして、めいめいにうちに戻ると、お風呂タイムです。パンジャーブは比較的暖かいので冬でも井戸水を鉄のバケツに二杯汲んで日本でいう、トイレ位の大きさの箱形の部屋に入り(*1)、そこで水浴びします。その箱部屋は実は小用のトイレと同じなので、実はくさいし、部屋についてる、かぎホックになんとか自分の来ていた洋服と新しい下着を落とさない様にひっかけ、その二杯の水でシャンプーから体から洗いきらないとなりません。しかも大人数が待ってるので手早くしないとなりません。

当時はインド人は石鹸で頭を洗ってましたが、私は日本からシャンプーを持っていってました。後に、このシャンプーはなくなってしまうのでインド製のシャンプーを買うことになるのですが、そこで気がついたのですが日本のシャンプーは日本のお風呂で使う事を考えられてるので水ではあんまり泡立たなかったけど、インドシャンプーは水でがんがん泡立つのでした。
あれには感動しました。

そしてお風呂が終わってからチャイを飲むのですが、インド人は歯磨きしないとチャイは飲まないんですね。歯磨きは歯ブラシを使う人もいますが、そういう木の枝もあって、枝をよく噛んで先をほぐしてからそれで歯を磨いてる人もいました。私も使いたかったけど、実は体に悪いとかで流行らなくなってる様でした。

(*1)パンジャーブの小用トイレでは箱形の部屋の角に小さな穴が開いてるというおそまつなもので、トイレの前に人がいれば、中に入ってる人のおしっこがちょろちょろ出てくるので、私は好きになれませんでした。

ではまた来月。

第9号 ゴウン(村)へ NO.6

インドと言えば、貧乏でハエが飛んでいる。
インド人が聞いたら怒るかもしれませんが私のインドのイメージはそれしかなかった。インドの子供にチョコレートをあげたら喜ぶだろうなとか、ポテトチップをあげたら喜ぶかも、という事で私はスーツケースにお菓子を詰めていた。
チョコはM&Mというマーブルチョコみたいなのが小袋に分かれて入ってるものだった。ところがインドに着いたら子供がやたら多い、子供にチョコをあげるのが惜しくなってしまった私は出かける都度にポケットにチョコを忍ばせていた。だけど、そりゃ〜駄目だよな〜と途中で思い直して、遂に、子供たちにチョコを配る事にした。

ありがとう!とチョコを手にする子供達。う、、う、、嬉しい。。
自分の行為に感動する私。
が、家族の一人にチョコをあげようとすると、、、
チョーター「僕、まずいからいらない。」
私    「おいしいよ。甘いよ。」
チョーター「だって食べたらまずかったもん。」
私    「!!」
知らなかった〜。私のスーツケースの暗証番号は何故かばれていて、私のスーツケースは自由自在に開けられていたのだった。
でも、チョコはまだましな方だった。続いてブラジャー事件が起きた。

第10号 ゴウン(村)へ NO.7

ちょっと話がそれますが、(毎度、毎度こんな話でスミマセン。)
私は村でVIP待遇でした。というのは大袈裟ですが、お客さんとして対応してもらってました。日本から来たというので、ご飯は火を起こして、カレーを作らないとならないので、役にたたないし、洗濯はポンプから水を引き上げて、ブリキバケツで洗濯しないとならない。あなたはいいからという言葉に私は素直に甘え、下着以外は洗ってもらっていました。
本当はインド人の嫁に行くと言うことは全部私がしないといけない仕事ですが、誰もおかしいとは思わなかったようです。
さすがに、下着はお風呂に入ったついでに自分で洗ってたのですが、そこで、一つ問題がありました。

それは、、、、村の人間が何処にパンツを干してるか分からないって事でした。
私は疑問というものが出ると解決をしないといられないもので、村の色んなお宅に行ってはパンツが干してないか探したものです。でもシャツやズボンは毎日洗ってるのにパンツに至っては女性どころか男性のも見つけられない??のですね。謎です。

そのうちインド人はパンツ履いてるのだろうかって疑問が沸いてきました。

夫にインド人はパンツを履くか聞いたところ、履いてるといいます。洗ってるか聞いても洗ってるという。でも、屋上にも部屋にもそれらしいものがないやんと抗議してもそれには曖昧に答えるだけで、さっぱりどうしてるか分からない。
(未だに謎です。デリーではベランダに干してあるのを何度も見ました)
私がパンツにこだわった訳はもう一つあって、自分の下着を何処に干すかという事です。しょうがないので、自分の下着は体を拭いたタオルの下にこっそり洗濯ばさみでとめて、見えない様に干してました。
ある日、泊まってる家の若嫁さんに言われました。
日本のブラジャーってすごく素敵じゃない?一つ頂戴。って。

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インドと私の出会い
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サーガルのらあまです。

このコラムは、1989年のインド旅行のもの。主にパンジャーブでの出来事について書いています。




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