【 HOME > 再び インドへ 】 ![再び インドへ](img/title.jpg) 京都でサーガルを新たにスタートした私達。 無事にオープン出来た事を神様に感謝し、 インドにお礼参りに行こうと リシケシュとハリドワラにお礼参りに行く事を 8月に決めたのでした。 1995年8月の事です。 9日の滞在で、政府観光局で買い物したり、ラールキラー見たり、 デリーを満喫し、いよいよ、明日はリシケシュだという前夜、 コロルバーグに出かけました。金の指輪が欲しいかなと思ってとある 店で品物を見ていると、その時の私の旅の友だったチャンダーが、 明日のリシケシュ行きではドライバーを変えると言い出した。 私達はインド滞在中 車を貸し切っていたのです。 日本と違いレンタカーというシステムがまだなかったので、 車を頼むとドライバーもついてきます。いや、ドライバーを 頼むと車がついて来るのかな?? 料金体系が8キロ以内、8時間以内という設定なので、 8キロ越えても超過料金 1キロしか走らなくても8時間越えたらやはり超過料金 何処でもドライバーは用事が済む迄待ってくれる。 ちょいリッチな気分になりますな。 私達が店を出ると車がスーーーっと出迎える訳です。 私達が頼んでいたドライバーの会社は距離があり、 うちに迎えに来るだけで時間が1時間かかる。 その時間と距離のお金が惜しいとチャンダーが言い出した。 (それも料金に含まれるので)
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私は人よりも第六感が働くとかそういう事はないのだけど、 その時だけは何だかとても嫌ーーーーーーーな予感がした。 どうしても、ドライバーを変えるのが嫌だった。 だから、チャンダーにお願いしました。 頼むからお願いだから、ドライバーを変えるのをやめてくれ。と。 ところが、もう外は真っ暗なのに、ドライバーが見つかった!! ウメッドの声が! お願いドライバーを変えないで!!私の叫びもむなしく、 ドライバーは変わってしまったのでした。
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朝の4時にデリーを出発!(予定) ところが、ドライバー 現れず。 おめー遅刻すんなよ。 ああ、嫌な予感はこれかと思いましたね。 ほら、ドライバー変えんかったら、こういう事なかったのに。とか? でも、、、私の心のもやもや消えず。。
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遅れてやって来たドライバーの車に乗り、 まずはハリドワラへ。ドライバー ちょっと涼しげな 男前で、サービスもよく、インドで初めての熱帯魚のいる ドライブインで昼食ハンバーガーを食べる 感激。 綺麗な庭もあった。 だが、ウメッドがドライバーを呼んで食事をしようというのに、 私は拒否。ドライバーはやさしいいい人とは思うのだけど。 前日迄のドライバーとはレストランで共に食事をし、 写真も一緒に撮っていたのに、今回は全部拒否。 何か分からない 嫌な予感。
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ハリドワラに行き、リシケシュでお参りし、帰途につく。 随分遅くなり、疲れていた私は車の中でぐっすり寝込んでしまった。
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ガシャーーーン!!と音がして、はっと目を開けたら、 車のフロントガラスが割れ、ガラスが全部、私に向かって 飛んで来ている様な気がした。ベンチシートはガクッと はずれ、車の中、バラバラに。 ぶつかった!!
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ぶつかったと思っているのに、私の頭の中はカメラはどこ??? カセットテープは??取って来たガンジスの水は??醜い私。 皆逃げてるのに、私だけが車の中の荷物を漁って外へ。
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同乗していたウメッドの子供が吐いていて、 私は目の上が切れていた。(これ位なら大丈夫) 自分自身についてはそう思った。 チャンダーは鼻から血をダラダラ流していた。 前の車は火を噴き、通行人の男達が砂を かけて、火を消していた。火をふいてる車にはドライバーも 助手席の男も挟まっていた。この車は玉突き事故の真ん中。 玉突き事故の最後が私達。 私が衝撃で目を覚ました時には、うちのドライバーは いなかったので、アイツ、先に逃げたな。と思いました。 何と無責任な!軽く憤り。
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ウメッドの話ではうちの車と火を噴いてる車がカーチェイスを やっていて、うちが抜かれた!と思った途端、対向車の トラックが突っ込んで来たらしい。 丁度、抜かれたから私達は助かった!
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当時、携帯電話はないので、通りがかりの公営バスに乗り、 近くの病院に行く事になる。私達けが人なのに、野次馬に 道を聞く。
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と、トボトボ私達6人が歩いていると、 私の足首をぐっとつかむ者がいる。 キャーーー!と驚いて見ると、 うちのドライバー !! ブチャオ! ブチャオ!(助けて!助けて!) と言ってる!! ドライバーがいた!! みんな!うちのドライバーがいた!!と私。 私より先に歩いていた、ウメッドやチャンダーが かけ足で戻る。 ドライバー すごく綺麗な顔をして、血も一滴も出ていないし、 傷もない。でもうつぶせのまま、助けてーと言って 顔をあげてる。立てない。 多分 死ぬ。 その時そう思いました。 綺麗だけど、内蔵がやられた。そう思いました。 あの初対面の何とも言えない涼しげな感じ。 死相だったのだろうか。
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数時間後、ドライバーは天に召されました。 25歳の若さで1歳の赤ちゃんがいたらしいです。 ドライバーとの思い出がしかし、私には残りませんでした。 ご飯も一緒に食べなかったし、写真も撮らなかった。 すごい。 あのもやもやはこの事だったとしか思えない。
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この事故で、私はすごく悩む事に。 もしも、私がリシケシュに行きたいと言わなければ、 ドライバーは死ぬ事はなかったのではないか。 1人乗るのも、6人乗るのもお金同じだし。と同乗した ウメッド一家は傷を負い、私を恨まないかなと。
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ウメッドは私にこう言いました。 神様は一人、一人に物語のページを書いていて、 ドライバーの物語はあの日で終わっていたのだよ。 もしも、マンジート(私)と行かなくても、 別の場所で、彼の物語は終わっていたよ。 インドの旅はいつも私に何かを教える。 そういう気がします。
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あの事故から丁度10年 2006年8月31日 |